拝啓、33歳の私へ

 

 

やっほー、33歳の私。

23歳の私だよ。

 

今、私は言われたことの意味を解釈することに時間がかかってしまったり、

言葉を言葉のまま受け取って、その意図を考えきれずにいるよ。

10年後には、もう、解決してるかな。

ねえ、教えて。

 

あとは、好きだったことも、物も、人も、

何も感じなくなってる。

感情が鈍くなってるのかな。

歳を重ねたら悪化している気がするけど、どうだろう。

 

小さい頃はいろんなことに興味が湧いて、手当たり次第ぶつかっていた私は、

いつ、いなくなっちゃったのかな。

 

本を読むのが好きだった、体を動かすのが好きだった、

キャンバスに絵の具を乗せるのが好きだった、自転車に乗るのが好きだった、

アニメを見るのが好きだった、もはや崇拝するほど好きだった推しのアイドル、

 

好きだったことはこんなに思い浮かぶのに、その時の、感情が、熱量が、

思い出せない。

 

ただ、歩くだけでいろんなことが思い浮かんで、止まらなくて、

拙く、メモに書き留めていた私は、ねえ、どこに。

 

人を本気で好きでいられた瞬間が、今は、俯瞰しているような、他人事のような、

そんな感覚。

敢えて、今は、と入れたのは、まだその瞬間を自分事にすることを望んでいるからで、

期待、してるからで。

 

人を突き動かすのはいつだって人だったね。

33歳の私、その瞬間、取り返してる?

そうだといい。

 

そういえば、去年、人生の転機になるような上司と出会ったね。

 

そうでもないと、こうやって10年後の私に手紙を書くようなことなんてなかった。

 

本を読むみたいに、忙しなく、次のページ、

次の次のページを捲るのでさえ、自分の指を急かすような、

そんな、わくわく感をくれる人だったよね。

 

憧憬、なんて、ひさしく、感じていなかった。

 

新鮮で、刺激的、たまにきつくて苦しい、知らない感情もいっぱい学んだね。

この人とずっと、仕事していたい、したくない、繰り返して、

最終的には、戻ってきて、泣きつく。

 

こんなにどうしようもないのに、見捨てず、あたたかい。

今も、この手紙が上司に見つかればいいって、思ってる。

拙く、稚拙なこの文章でさえ、どうか、笑ってほしい。

 

よかったね、私。

 

ここまで書いたけど、なんだかんだ、私は、10年後の私が、楽しみ。

強くなっていて、ね。

間違えても大丈夫、失敗しても大丈夫、って充分すぎるくらい、学んだでしょ。

 

じゃ、また、10年後に。

 

敬具、23歳の私。

 

追伸

こういうのって季節の挨拶とか、お堅いの必要だからね。

お仕事の時は、忘れず、ね。